銭湯と暮らす若者たちー小杉湯の「銭湯ぐらし」からみえる景色(前編)

おはなし

2017.11.6

text by 加藤友理

1週間に1軒のペースで廃業しているといわれる銭湯。杉並区高円寺の若き三代目が目指したのは、志をもつ若者たちを巻き込んだ銭湯経営のオープン化だった。「銭湯ぐらし」から今の若者を惹きつける銭湯の姿を探った。

カポン。そこでは昼から夜更けに至るまで風呂桶がタイルに当たる軽やかな音がこだまする。杉並区高円寺駅から純情商店街を5分ほど進み、一歩路地に折れると静かな住宅街の中に重厚な瓦屋根が現れる。築83年の歴史を持つ銭湯・小杉湯。
平日は1日300人、休日ともなれば500人以上ものお客さんが訪れ、都内でもトップクラスの集客数を誇るこの場所で、いま、ひとつのプロジェクトが動き出そうとしている。

「じゃあ次、エアビーの進捗は?」

「昨日部屋に必要な備品買ってきたよ。ほらドライヤーとか歯ブラシとか。あとは6月1日からエアビーのサイトで公開して、もう募集できるよ」

 「エアビー」とはエアビーアンドビー(Airbnb)の通称である。空き部屋を貸したい人が借りたい人に提供できるシェアリングエコノミーサービスで、現在世界191カ国で利用されている。

土曜の昼下がり。五月晴れの温かな日の光が降り注ぐ開店前の小杉湯のロビーに20代から30代の男女が集っていた。建築家、WEBデザイナー、編集者、ITコンサルタント、イラストレーター、アーティスト、プロデューサー、主婦。ばらばらの職業の彼らは週に一度、こうして顔を合わせて各々が担うプロジェクトの進捗を報告し合う。
洗い場から漂う湯の香りがどこか懐かしい気分にさせる銭湯のロビーであるが、そのリラックスした風情とは対照的に一同の真剣な表情があった。

自分が小杉湯でやってみたいことを実現する。それが「銭湯ぐらし」第一の目的だ。

取り壊しが決まったアパート

「そもそもの発端は、僕の家を建てることだったんです」

「銭湯ぐらし」の発起人である、小杉湯三代目オーナーの平松佑介(37)は照れたような笑みを浮かべた。

昨年の10月に会社を辞め、祖父が創業した小杉湯を継いだ平松は、妻との念願の夢だったマイホームを小杉湯の隣の敷地に建てることを決めた。それに伴い、小杉湯が所有する風呂なしアパート「マツミコーポ」の取り壊しが2018年2月に決まった。ところが不動産会社を通じ、マツミコーポの住人に取り壊しを告げたところ、思いのほか早く退去が完了し、全12戸のアパートはたちまち空になった。

マツミコーポ

「家賃収入がないまま一年間アパートを持て余してしまうんですよ。これは困ったなと思って。新たに募集をかけて、取り壊しまでの1年だけ住んでもらうのは難しいし。でも、もったいないなと思ったんです」

地域住人を巻き込んで小杉湯を経営していきたいと考えていた平松は、取り壊しまでの1年間の期間限定で小杉湯のファンにアパートに住んでもらうことを思いつく。1年間、家賃は無料のかわりに、小杉湯で個人がやりたいことを実現してもらう。
常連客の紹介や脱衣所に貼ったポスターで募集をかけると、あれよあれよという間に個性豊かなメンバーたちが集まった。共通するのは全員が大の小杉湯ファンであり、恩返しをしたいと思っていることだった。

小杉湯三代目の平松佑介

小杉湯を楽しむために お互いうまくやろう

バンド、弾き語りの活動を経て現在は自身の楽曲やCM音楽の制作を行っているミュージシャンの江本祐介(29)は、東日本震災後、下北沢のライブハウスで観た「電気を使わない」ライブで、生音の演奏に魅了された。銭湯の高い天井とタイルに響く、音響機材なしの丸裸の音を伝えるために、浴場でのライブ実現を志すために手を挙げた。

ミュージシャン 江本祐介

アートディレクター・大黒健嗣(34)は、「泊まれるアート」をテーマに、ひとつひとつの部屋をアーティストがデザインしたホテル「BnA HOTEL Koenji」を展開している。その実績をふまえ、高円寺に住まうアーティストと市民の出会いの場、そして創作活動におけるインスピレーションの場としてアパートを公開アトリエとして開放することを提案する。

アートディレクター 大黒健嗣

高円寺に13年間住む主婦・大月美帆(31)は過去にスペインの金融会社に勤めた経験があり、日本語・スペイン語・英語・ドイツ語を操る。
彼女は昼間の早い時間に毎日欠かさず小杉湯に通っていたため、常連のおじいさんおばあさんたちに溶け込んでいた。外国人が来店した時には自ら近寄っていって入浴マナーを教え、突然の外国人の訪問に対して眉をひそめる常連客に対しては理解をよびかけた。

「私はみんなみたいに『小杉湯で絶対これがやりたい』ってこととか、英語を使いたいってことは全然ないの。ただ小杉湯に気持ちよく入りたいし、みんなにも入ってもらいたい。楽しむためにお互いうまくやろうよ、ていう感じ」

彼女は現在、Airbnbで申し込みをしたアパートの宿泊者のアテンドをしている。夏休みのあいだの3カ月間部屋を借りているアメリカ人女性は、大月が最初に入浴マナーを教えたおかげで、日本人よりはるかにマナーがいいと常連客からも評判だそうだ。

主婦 大月美帆

ファンたちからの申し出に改めて小杉湯の影響力と可能性を感じた平松は、人生で初めて、オーナーである父親にアパートの1年間の使用を願い出た。三代目としての初めての意思表示だった。

平松の熱意は父親に伝わり、2017年3月、「銭湯ぐらし」は始まった。最初の仕事はマツミコーポの大掃除だった。

メンバーがひとつ屋根の下での暮らしを始めて1カ月後には弾き語りライブを行う「小杉湯フェス」を企画。江本のつながりで近年フェスにひっぱりだこの「ザ・なつやすみバンド」や「シャムキャッツ」のメンバーらが出演した。SNSのみの告知にも関わらず、3,500円の前売りチケット70枚は販売開始4時間で完売。当日は高円寺に店を構えるクラフトビール販売店やカレー屋も出張販売を行い、祭りを盛り上げた。
メンバーはプロジェクトのたしかな手ごたえを感じていた。

消えゆく町の銭湯 入浴だけじゃ、やっていけない

町の公衆浴場として人々の暮らしを支えてきた銭湯は今、減少の一途をたどる。
東京都浴場組合の資料によると、都内の銭湯は戦後の最盛期である昭和46年の2,687軒から下降を続け、平成27年には628軒になった。ピークからみると約4分の1。その減り方はめまぐるしく、「1週間で1軒のペースで」東京から銭湯がなくなっている計算になる。

戦後、新潟や富山・石川から多くの人が東京にきて都内の銭湯は続々と増えた。
銭湯研究の第一人者・町田忍の『銭湯の謎』(ソニー・マガジンズ)によれば、北陸は昔から出稼ぎの多い地域で、江戸時代でいえば、大工、左官、豆腐屋、そして銭湯などに出身者が多かったという。初代銭湯経営者たちは新潟県浴友会(新潟)・一六会(富山)・白山会(石川)などの組織を立ち上げ、同郷で結束してはのれん分けをしていた。
平松の祖父も新潟から上京後、いくつかの飲食店を経営すると、同郷のつながりで小杉湯を買って開業した。高度経済成長期には大量の人の住まいが必要となり、行政主導で風呂なしの集合住宅と銭湯が次々と建設された。現在、大型のスーパー銭湯やシャワーつきフィットネスジムが建つ一方で、銭湯は経営者の高齢化、後継者不足や施設の耐震補強工事の資金難などの理由で廃業に追い込まれている。

平松は銭湯の減少を冷静に分析する。

「単純に、みんなの家にお風呂ができたことは大きいと思います。もう入浴としての役割だけじゃ、やっていけないんです。」

高円寺という場所柄か、他の銭湯と比較して若い人が多い印象を伝えると、平松は大きく頷いた。若いお客さんは友達同士で銭湯にくることが多いという。

「若い人にとって銭湯って新鮮なのかもしれない。ちょっとした遊びとかレジャー感覚。飲んだ後に友達と銭湯に行くっていう子もいるんですよ。僕のときは飲んだら決まってカラオケかボーリングだったけど、今の子の遊び方って変わってきている気がします。話を聞いてると、お金をかけずに仲間と楽しむ工夫がある。」

今の若者にとって銭湯はレトロな雰囲気が持つ新鮮さだけではなく、コストパフォーマンスの良さもひとつの魅力になっているのかもしれない。
かく言う私も、小一時間でも時間ができると、都内の銭湯を巡ってはひとっ風呂浴びることが習慣化している。その中でも小杉湯のホスピタリティはずば抜けているように思う。24時までの営業が多い中、深夜1時45分まで開いているので終電で帰っても立ち寄れる。シャンプーやボディソープ類は備え付けな上に、小さいタオルなら無料で貸し出し。ふと思いついたときに手ぶらで立ち寄れる敷居の低さは有難い。日替わりの香り風呂に、ジェット付き風呂、化粧品会社が小杉湯のために開発したミルク風呂に水風呂。4つの浴槽は常に一定の水温を保っている。

「若い子たちの、銭湯を守りたいっていうエネルギーはすごい。だけど銭湯業界に本当にそのくらいの熱意があるのかというとそうとも言えない部分もあると思うんです。銭湯の減少はもちろん時代もひとつの原因だけど、それをいつまでも嘆いてはいられない。築き上げてきた重みを感じるからこそ、時代とともに変化する必要があると思います」(平松)

守ることと変えること。平松は一経営者として銭湯の生き残る未来を模索する。(後編へ続く

執筆

加藤 友理

YURI KATO

ライター、会社員

銭湯と餃子とビールがあれば幸せになれるタイプです。 広告会社でPRの仕事をしています。 初恋は映画『GO』の窪塚洋介演じる杉原です。